司馬遼太郎著/映画【峠】最後の侍と称される河井継之助

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幕末 明治維新 この時代にも武士の中の武士と称され後世、名前を挙げられる人物が数多く歴史の面舞台に登場する。その中で現在全国公開中の映画【峠】最後の侍 この物語の主役である【河井継之助】について取り上げてみる。

最後の侍と称され描写される概念上の位置付けはよく見受けられ、幕末明治維新という歴史の時間軸から鑑みると幕府方、新政府軍の立場を同じくするとその最後を伝えられている著名人と云えば、佐久間象山・西郷隆盛・桐野利秋・土方歳三等、枚挙に遑が無い。

当然ながら河井継之助も最後の侍と称されるべき一人である。

北越戦争に至るまでの軌跡

河井継之助は西暦1827年1月27日 江戸時代の末期 幕末の長岡藩にて生まれた。

河井家は幾つかの流れがあるが(信堅系)の継之助は結果、藩の屋台骨となる郡奉行を務める等、民政、財政を司るに長け、他の河井家より優位に立っていた事がその実績から読み取れる。幼い頃は武術や馬術にのめり込み流派の師匠の教えに従わず厄介払いになった事があるほど気性の激しい人物だったようだ。その後、藩校の崇徳院で陽明学に傾倒、この教えの最たるとは言い過ぎだが補国を任とする事に誓いをたて藩政を支えるに主眼を置き彼のその後を決定つけた。

1852年江戸に遊学、佐久間象山や斉藤拙堂らの門をくぐり長岡時代からまるで彫物を彫る様だ、と周囲の門人達が変人扱いする程、精力的に行った写本に明け暮れながら悠々自適な日々を送る。この頃ペリー率いるアメリカ艦隊が来航、開国、尊王攘夷かに揺れ動く情勢において当時の江戸幕府中老であった長岡藩主牧野忠雅は継之助を始め江戸詰の藩士達に広く意見を求めた。

いずれも時代に背中を押される形の藩政改革を訴える内容であったが多くの建言は忠雅の不況を買いそういった藩士達は長岡に帰国を命じられる。継之助の意見は藩主の目に止まる事となり要職に抜擢され長岡藩に戻った。しかし藩主独断人事に反感を持った国許のお歴々と対立。わずかな間に辞職することとなり後年継之助の墓石が幾度となく倒される事件が続いた様に継之助にして凡庸と言わしめた長岡藩の中核だった武士達と軋轢を産む事ともなる。この辺りは変革を伴うにあたり今も昔も変わらないのかもしれない。

その間に奥州、備中松山、長崎に遊学。藩主が牧野忠恭に変わると忠恭が京都所司代に任じられそれに同行、京都詰めとなり、その後江戸に藩主忠恭が幕府の老中として移るとそれに従い江戸詰めとなる。しかしここでも持ち前の反骨精神からだろうか他藩の藩主を罵倒してしまい彼は国許に戻ることとなった。彼の人生を追ってみると稽古に力を入れた射撃の腕も去ることながら幼い頃から培われた激しい侍然とした性格が根底にあった事は間違い無いだろう。

小千谷談判 北越戦争 武装中立に馳せた夢

帰藩を命じられた河井継之助はここで郡奉行となり藩政を握る事となる。映画でも見られるが当時日本に2丁しかなかったガトリングガンを購入し、遊学の経験からその扱いの知識を駆使して最前線に立ちながら采配を振るい、若手武士達の指示を得て歴々の上級武士を抑え込み降伏を良しとせず開戦。鳥羽伏見の戦い、箱館戦争と並ぶ激戦の1つ北越戦争を繰り広げる事となる。

日頃から剣の流派について問われると実践では型は役に立たないと公言していたこともあり旧態然とした習わしに囚われない人物像も浮き彫りとなってくる。この時代最新鋭の武器を周囲の反対を押し切り手に入れ、官軍にも幕府軍にも属さず中立を貫くべく武装中立を定め幕末明治維新の時代、唯一無二を実現しようとした最後の侍、河井継之助。【峠】という司馬史観に基づいた名作を映像で見る事は彼が思い描いた一つの夢を見ることと一緒なのかもしれない。

映画 【峠 最後のサムライ】

6月17日(金)から全国ロードショーされている、映画【峠 最後のサムライ】はロングラン上映を行なっている。

TL漫画 |

敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”

慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。

慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。

だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。

妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

映画 峠 最後のサムライ 公式サイトより引用 https://touge-movie.com/story/

大手予備校講師のみならずTV番組でもさまざまな学問・分野の解説で知られる林修氏が映画【峠 最後のサムライ】の宣伝特使となり、河井継之助と映画本編についての解説を動画にしており、こちらからも河井継之助の魅力と功績について知ることができる。

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